判断 決断

 いつも空いている◯◯電車が人でいっぱいだ。雪トラブルは思ったより大きかったようだ。あらかじめ運行見合わせを発表していたJRを避けて他の交通機関に人が流れた。台風と違って、この際車でといつも使わない車で雪禍に巻き込まれたケースもあったのではないかと思う。天気予報が精緻になった今、交通機関を使わなくてもよいようにしなくては。つまり事業所も休むことだ。警報が出ていなくても決断できるように。

 

 そのJRが乗客を乗せて止まった。車の立ち往生も困るが、電車の閉じ込めはもっと困る。プライベート空間もなく空調は効いていても空気は汚れる。乗客はスマホで情報を得ようとするが、やはり車内アナウンスが1番正確で頼りにしたい。孤立した電車で指示系統のトップは車掌さんしかいない。例えばトイレ、トイレの場所やそこまでのルート確保への協力、身体の調子が悪い人を優先して・・ぐらいのことは、本社の指示なしでアナウンスができるようにしないといけない。車内ルールを知らないが、これはもしアナウンスマニュアルがあって、それ以外の内容の伝達には上司の指示が必要とかなっている場合だ。もしくは、早くから大雪対応をしていたJRだから、リスクのある電車にはその上司さんが乗るとか。

 

 今はちょっとしたことがクライシスになる。正確な情報を的確に提供すれば日本人はどこかの国のように暴動は起こさない。むしろ忠実に我慢してしまうから体調も崩す。説明会見などもう要らない。検証するとか防止策とか聞き飽きた。

ふ登校の話①

 4月からは自分の居場所を変えて「ふ登校」対策に取組むことにした。去年の秋から話し合いを重ねてきた結果だ。声をかけて下さったのは元同僚、戦友だ。声をかけたのは私も同様で不思議にタイミングが重なった。戦友でなければ声をかけていない。もちろん今の職が気に入らないのではないし、むしろここも私なりのふ登校対策がきっかけで巡り逢った職場である。たった1年とは残念だが、これから立ち向かう課題と方法によりやりがいを感じ始めた。退職だ。引き続き居場所があることに喜びを感じねばならない。

 

 ただ荊の道でもある。やる事ははっきりしているが確立された手段などないし、予算も十分取れていない。戦友は努力してくれたが実績のないものに税金を使う自治体はない。がんばって目標を設定して、まずは数字を上げていきたい。挑戦だ。

 

 ふ登校は、文部科学省の基準で24万人強と発表されている。でも基準周辺の子どもたちはどうか。日本財団の発表値で別の数字がある。行ったり行けなかったりしている子どもたちだ。原因は?と我々は焦る。でも圧倒的多数回答は「わからない」だ。わからないのがわかる。

 

 文部科学省は統計値のみ。特別支援教育が国立教育研究所の研究を発表したような細かな状況分析や対処法は出ていない。そもそも研究事例が少ないように思う。論文を調べてみてもピンとくるものがない。

 

 どういう原因があってどういう対策が有効なのか。現場に投げられている現状をどうにか打破したい。

 

 学校に行かない選択をした子どもたちを受け入れる考え方をしなければ。学びの場は学校だけなのか?そんな疑問からスタートしようとしている。

 

 

 今週は大雪のようだ。小さい頃から膝ぐらいまでの積雪はあたりまえの地域で育ってきたものとしては、各局のニュースで取り上げられてこと細かに対処法を伝えられるとなんとご丁寧に、と思う。でもきっと子どもの自分には見えなかったところで父や母が雪対策をやってくれていたのだろう。子どもにとって雪は遊びのバリエーションが増える嬉しいものだった。

 

 後年地震の後、家族で暮らしてみて、大人目線で雪はなんと厄介なものだと思い知る。朝からきゃっきゃと雪かきをしていた昔が懐かしい。朝のうちに家の前の雪を空けておかないとご近所からどう思われるか??そう考えると妻も小さい子を背負ってやらざるを得なかったらしい。かたや意外に安いガレージを借りていた私は、毎朝車を出すために何メートルも雪かきをしなくてはならず、広いのに安いというわけがよくわかった。落雪・用水路・屋根の雪下ろし・・冬の作業は降らない地域の何割増となるだろう。

 

 雪作業が嫌だったわけではないが、実家暮らしは短かった。昔は精緻な予報が出るわけでもないので降ったら嬉しいくらいの雪だったけれど、今予報が正確なだけに怖くもある。見えすぎて怖い?とは言い過ぎ・考えすぎかもしれないし、知っておくに越した事はないが私にとっては昔の方が怖くはなかった。

 

 その雪を都会の子に楽しんでもらう、というニュースが時々流れるのでコロナの中、自分の学校に呼ぼうと実績のある運搬業者さんにお願いしてみた事がある。お値段を聞いてビックリ!もちろん実現させることは叶わなかったが、あのご褒美は実は金💰がかかる。

 秋田のかまくらをはじめ雪を楽しむ文化を作り上げた昔人の知恵は偉大だ。

海外から・・

今週のお題「試験の思い出」

 ちょうど子どもたちの受験期にヨーロッパ駐在が重なりました。上の子は高校受験。これは日本にいても必ず必要!あらかじめ心の準備もありました。下の子は周囲の環境と現地での塾の勧め、上の子の便乗?で中学校受験。その年は緊張の幕開けでした。景気づけにニューイヤーコンサートで第九を聴きに行きました。

作戦

 わが家の作戦です。まず私立中学受験の下の子と妻が一時帰国。空き家になっていたマンションを開錠・清掃して受験に臨む。続いて上の子が帰国。これは友だちも大勢同じ便で帰国できたのでまず安心。整った自宅で受験に備える。下の子は受験終了後、どうしても学校に戻りたいと単身日本からヨーロッパへ。帰ってきた我が子を見て成長を感じました。「かわいい子には旅をさせろ」

 

ハプニング

 もちろんハプニングはつきもので、上の子の受験後に妻が入院したりしました。幸い短期間の入院ですみましたが、その間家の事を一手に子どもがせざるを得なくなり、それはそれでいい勉強になりました。しかし入学手続きの期限内に書類が整うかが微妙になり高校の先生にはご迷惑をおかけしました。事情をご理解くださって感謝しかありません。また、国内の同僚には多方面にわたり助けていただきこれも感謝。感謝で終われた受験でした。

 

雑感

 一番がんばるのは受験する本人です。どんな試験であっても悔いなく力が十分発揮できるように願うばかりです。しかしひと山越えた時力を尽くした爽快感と感謝の念が残って良い受験と言えるのではないかと思います。それは合否に関係なく。もちろん合格するに越したことはないのですが。

 後にも先にもふりかえって、また自分のこと・家族のこともふりかえってこれほど人に感謝した受験はありません。

 

余談

 それにしても・・。海外から日本の公立高校を受験する難しさは痛感しました。出願期間が短く、ヨーロッパといえどもその短い期間をねらって出願書類を届けるのは難しいこと。基本的に公立高校は居住地で住民税を納めている人に門戸を開くので海外に住所を移している我々には基本受験資格がないということ。なるほど駐在員の子女が早めに帰国するわけだ。

 

 

夜のドラマ

 深夜枠のドラマが面白い。何よりテーマが挑戦的だ。だからこその深夜放映なのかもしれないが。公共放送も民放も、優れた脚本に人気の俳優さんを揃え力が入っているのがよくわかる。局本体が深夜ではなく、多くの人たちが視聴する時間枠に投げてきたらいいのに、と思う。反響はあると思う。賛否が分かれるのは常であり、51対49が良い。

 

 ドラマだけではなく、ヒットする曲の歌詞に発達障害を苦しんだり、嘆いたり、力づけたりする内容を感じることがある。私は師匠の指示で意図して「発達特性」という言葉を使うようにしている。「しょうがい」は昔から抵抗があって使っていない。かつては平仮名表記がせめてもの抵抗だった。DSM-5に則って言葉が広まるのはいいことだと思うが、同時に正しい理解も広めなければと戒めている。何でもかんでも発達特性というのは違う。

 

 ヒットソングの歌詞でもわかるように、多くの人が大人になって社会生活を自分で営むようになって困難に気づくものだ。社会人になっていれば気づいた時はひとりだ。自分で苦しみ、もがくことが多くなる。だから、子どもと言われる時代に周囲がそれに気づき、丁寧に対応するとか、理解者がいてくれればそれだけで救われることもある。少なくとも学校生活は安心して送れて卒業しても何かあれば相談に乗れる。

 

 担任の先生は、面倒かけても所詮1年間ですから・・。何度かそう言われた。公立学校は基本学年やクラスが変わるし、異動もある。でも自分は担任を離れてもずっと繋がれる人でありたいと思ってきた。これからもそうありたい。

ある学校の話③

 この学校には1年間しかいなかった。しかし忘れられない。自分を1番変えてくれた学校でもある。ちなみに以前書いた「ある学校」とは違う。どちらかといえばリッチで有名な場所にその学校はあった。私がいた年の新入生は69名。職員数は69名。普通の公立小学校では考えられない数字だ。もちろん教員ばかりではない。介助員さん、指導員さん、看護師さん、・・・フルに加配してもらってその数なのだ。

 

 業務改善のためには業務を減らすか人を増やすか・・と議論されることが多いが、人を増やせばいいというものでもない。まず全員集合ができない。毎学期の最終日だけ、強引に集まって校長先生のお話を聞く。職員室に2列でぐるりと一周円ができる。年に3回だけ私たちはチーム全員が顔をそろえる。だから毎日の緊張感は半端ない。隣のクラスの先生とも廊下ですれ違いざまに立ち話で打ち合わせをする。ある学年は朝早く勤務時間外に円になって打ち合わせている。

 

 見にこられた方々が一様に驚くほど、モノや人が動いていた。その勢いが空気の波で押し寄せる、それは働いている我々も感じていた。職員室の机にゆっくり座れるのは休日に出勤した時だけだ。しかし楽しかった。みんなの目標が1つだったからで、憧れだったからで、やってもやっても届かない遠くにあったからだ。

私も転任したばかりではあったが、この楽しい忙しさを少しでもなんとかする立場にあったので、打ち合わせを全て「ミーティング」と呼び、ショートとミディアムとロングの3種類に決めた。ショートは15分 ミディアムは30分 ロングは1時間。目安の時間を決めたことで少しメリハリがついた。続いてファシリテーションの研修をした。企業研修をしている方にお願いした。延々と語るのではなく、決めた時間に伝えたいことを伝える。これは授業に活きた!以来この研修は大切にしている。学校現場におススメだ。

 

 まだコロナがなかったけれど、69名が一度に入る宴会場は限られていてしかも一人一人が話す機会などない。もう2度とこういう経験はできない学校だ。そういう大きな組織の中で、校長先生がいつも一人一人に声をかけておられていたこと。教頭先生の危機管理が完璧だったこと。のちの自分にはとても役に立った。あることでちょっと腐っていた自分だったが、この学校との出会いは刺激的ですぐにシャンとした。この学校との出会いがなければ今の自分はない。感謝している。

ストーカー:博多事件

 悲惨な事件が繰り返されている。報道を聞く限り警察は出来ることをした。被害者も身を守る術を持っていた。しかし最悪の結果になった。ご家族の悔しさたるや・・。

 

 学校でも似たような騒動がある。登校しぶりを起こした女子生徒に事情を聞くと、その時ははっきりしないのだが後になって、ある同級生から付き纏われているという訴えがあった事がある。最高に困る事案の一つだ。それとなくある同級生にも話を聞くのだが、聞きにくい。ものを貸したことがあるくらいに返答される事が多い。事が事なので保護者にも協力を得にくい。しっかり観察するしかない。デリケートな上にもう一つデリケートが重なる問題だ。被害が「登校しぶりの原因」として出てきた以上は、ある同級生は「加害者」なのだが、被害者が直接ではなく、保護者を通じて訴えていて、すでに学校が事情を聞けなくなっていると相当厄介だ。ほのかな恋心なのか、ストーカーなのか・・、それとも何もなかったのか・・。

 

 専門家が、ストーカー規制法による接近禁止命令まで事が及ぶのなら「加害者」にも連絡を入れるべきだったと言っていた。その通りだが一方で警察もこの手の事案をたくさん抱えているに違いない。心理士や保護司?にも伝えられない業務上の秘密なので、迂闊に人に連絡を頼むわけにもいかない。よってたかって守らねばならない命だが、情報開示の壁が立ち塞がる。学校のほのかな恋事案でも同じだ。

 

 ならば、被害者が持っていたという緊急警報装置を可能であれば家族や同僚に複数持ってもらう、とか。GPSが発達している世の中だから、半径2kmに接近したら自動的に通報する機器を持たせるとか。2kmの根拠は知らないが歩くと30分、走ると15分と考えれば通報→警察まで最短の時間感覚だろう。接近停止命令が出るようなケースについては特例として予想される加害を最大限防ぐ手段を講じてほしい。

 

 こんな野蛮な犯罪が続けば、犯罪を犯す予兆を探知するゴーグルのようなものができてしまう。例えば瞳孔が開くとか発汗を探知するとか、心の可視化が進んでいけば困った世の中になるはずだ。見えないから幸せということもある。何もかも見えるとやはり都合が悪い。気持ちを抑える理性というかそれが足りない。職業柄、子どもはもちろん大人ともたくさん接するが、根拠はないけれど「あかん顔」がある。今回がそうだ。被害者・加害者の顔をニュースでみていると明らかにミスマッチを感じる。自分だけかな?