ゆる部活考:ドイツ教育事情②

 昨日、ゆる部活 がニュースで紹介されていた。たとえゆるくても人が集まって同じ活動ができるのは幸せだ。やりたくても人がいない学校・地域も多いことだろう。部活加入を任意とすることにその学校の校長先生がコメントしていた。

「やはり人と人が交流して競い合う、磨き合うことには価値があると思うんですよね。でも強制する気はありません。」 どっちやねん!思わずつっこみたくなるコメントでこういうのは嫌いだ。

 おそらく前半部分が本音だと思う。ならば「自分の学校はこうする!」でよい。考え方をはっきり出すことが必要だ。もっともそういうことをして次の年にこの人が校長先生で居られる保障はない。なんとも世知辛い。声をあげても状況が変わらないわけだ。

 

 どうすればよいという名案はない。子どもたちの声、親の声。先生方の声を聞いて49対51でもどちらかに決めることだろう。

 

 さてドイツである。ドイツの公教育は朝早く始まり午前中で終わる。ランチは自宅で家族とともに、というのが考え方だ。カルトエッセンといわれるディナーに比べランチの方が豪華だ。そこからドイツの子どもたちは公共の習い事に行く。改めていうと「公共」だ。泳ぎたい子はスイミング、テニスをしたい子はテニススクール。楽器だって学べる。子どもたちだけのオーケストラで好きな楽器を貸してくれる。しかも公立だ。月謝が安い!こういうシステムが構築されている国は、部活だの地域移行だの言わなくてよい。各スクールに専門指導者がいる。そこはさすがにマイスターの国だ。例えば小さい時から音楽を学び、芸大まで出ているのに職がない・・かの国とはそこが違う。マイスターとなれば月々の収入は保障される。文化とは、こういうところで育つのかと思う。育てるのも金がいる。

 反面、学校は日本のように子どもの生活の全てを面倒見ることはない。学校に職員室はなく、先生たち拠点は教室だ。授業が終わったらさっさと帰ってそれぞれ次のアルバイトに精をだす。先生だけでは食べていけないと言っていた。ランチ前に帰ってしまうと、せっかくだからとドイツの学校と交流すべく思い切って電話をかけてみてもすでに誰もいない。日本の学校では先生たちがホッとできる瞬間は子どもたちを下校させた後のしばらくの時間だけだ。

 

 日本をドイツ化せよとは思わない。・・が、ゆる部活にせよ、地域移行にせよ、指導者の問題が必ず出る。現下の部活指導員の謝金だけではもちろん生活はを支えるに至らないし、部活の時刻に指導ができる教師以外の人材がたくさんいるとは思えない。謝金や関係費用への大きな投資と部活指導のための企業の休暇制度など分厚くすることが必要だ。こういう声が大きくなる日はそう遠くない。しかしまず学校依存を解かなくては。周りからそれを言うか、自分たちで声を上げるか。やはり学校は自分で声を上げるべきだと思う。中途半端なコメントはいらない。