ふ登校

 あえて「ふ登校」と書く。いわゆる不登校がすごい勢いで増えている。現在24万人強というのが最新の発表だ。前年度比約5000人以上の増というから驚くしかない。日本の教育現場を離れて久しいが、学校に行けない不登校と行かない不登校が混在しているようだ。行かない、というケースが増えたというのが現場にいる時の感覚だ。学校や社会そのものに価値が見出せないということか。

 

 ひるがえって現在のインター校には幸い不登校がいない。登校しぶりはあっても、日本の学校基準の不登校にはあてはまらない。これはとても興味深いことでずっとなぜだろうと思ってきた。小規模ゆえのアットホームさ、教育課程の違い、年齢層の幅広さ、どれもあたっているように思う。

 

 最近になって思うことがある。ここには日本語を第一言語とする人たちと英語ほか外国語を第一言語とする人たちが混在している。基本言語はもちろん英語で先生とのやりとりや授業ももちろん英語である。日本語のわからない人と英語が不十分な人。そうだ、もしかしてこの状態は全員がコミュニケーション障害と似た状況なのだ!

 

 自分がいい例だ。子ども同士が目の前で英語でやりとりしているのを聞くと、はじめは一生懸命耳に入れようと聞いていたが、そのうち背筋がぞわわっとしてちょっとした孤独感に陥った。そのころは私の顔を見ると日本語で話しかけてくれる子が多かった。今はほとんど英語で話しかけてくれる。そうだ!英語ができるようになってきたのだ。その喜びとともにそれでも言葉が出てくるまでに時間がかかることもあって、子どもが相手でもうまく伝わらなかったりする。落ち込むこともあるが、そうか!?全員が同じ思いなのだと。

 

 すなわち、こういう人がうかない。みんながそうだから皆同じなのだ。

 

 言いたいことがうまく伝えられなかったり、言葉より手が先に出てしまったり、そんな子がついクラスで浮いてしまい、学校でも家でも注意されて注意されて不登校などの二次障害を起こす。二次障害は出てしまうと治りにくい。今はかの国の診断基準も変わり顕在化する症状によって多くの診断名がある。世の中の変容に合わせて医師の診断も変わってあたりまえだろう。大人の発達障害、という言葉もよく耳にする。

 

 インター校のようにする、なんて急激な環境調整は不可能だが、ふ登校に限らず、二次障害を起こす前になんとかして手を打つことが必要だ。まず気づくいてやること、そして可能な環境調整をしてやること。それで救われる子どもや大人はいるはずだ。目を凝らしてみてみよう。