ふ登校:変容する姿

 長く担任をしていて1人もふ登校を出さなかった。これはずっと誇りだった。もちろん登校しぶりはいた。すんでのところで食いとめた思い出もある。子どもたちも偉かったし、保護者の方々にも感謝している。そして同僚。励ましてくれたり、時の仕事を代わってもらったり。チームでかからないと不登校対策はかなりしんどい。

 

 かつては行けない不登校が多かった。朝、本人は行こうと思っているのにお腹が痛くなってしまう。熱が出てしまう。医者に行っても原因がわからない・・。困り果てているうちに時間が経ってゆく。その子が興味をひきそうなイベントを企画したり、同僚の知恵をいただきながらさまざまな作戦を練る。成功したりスカッたり。でも毎日そんな企画をするわけにもいかない。なんとか顔を見たり、話ができればそこから糸口が見つかることがある。「行かない!!」と強硬に主張するケースは、ご両親と連携してなんとか原因を探る。先生が嫌だ、と言われてしまえば心は萎える。

 

 校長として唯一認められないのは「担任を代えてほしい」という切実な願いだ。これは辛い。気持ちは痛いほどわかる時もある。人間だから合うとか合わないはどうしても起こる。そこに至ってしまう、人は少々合わなくても折り合いをつけてやっていくものだが、それができなくなってしまう状況ができてしまっているということだ。手遅れであることは承知の上で可能な限りの環境調整を試みる。保健室登校、放課後登校、今ならオンラインといったところも選択肢になるだろうか。頭を下げながらではあるが辛い時間を学校も家庭も共有することになってしまう。

 

 ひと頃から「行かない」不登校が耳に入り始めた。学校って何?そもそも学校って必要なの?という問いだ。私も「学ぶ場は一つじゃないよ」と言い続けてはきたが、あからさまに存在を否定されれば言うことは異なる。

 コロナになってから、あのプツンと時間が途切れた2月28日から、給食中のおしゃべりが禁じられた。友だちとは常に距離を保つよう指導され、顔の半分はマスクで覆われた。校外学習や学校行事、調理実習は消えプール授業もない。前段で私が撮った作戦はもうできない。学校の存在意義までは否定されたくないけれど、「学校で○○するよ。楽しいからおいで。」とも言えなくなった。

 

多くの学校でもがいていることであろう。

 

 でも、きっときみを待っている人がいる!学校にはきみの机やイスがある。出席簿にも名前がある。誰にでもあるはずの思い出、小学校時代・中学校時代のきみは欠けがえのないピースのはずだ。きみがいないと壮大なパズルは完成しない。

 何かのストレスにさらされたきみが、たまたま人生の少年期少女期に「ふ登校」という二次障害が出ただけの話だ。もっともっと大人になってから出る人も多い。今は十分リ・スタートを切れる時間がある。エンジンがかかるまでしっかりエネルギーを貯めておこう。

 

 そして私も考えてばかりではなく行動しよう。新しい時代に即した学校・教室を創ってみたい。あまり時はないかもしれないけれど。