平和について:ドイツ教育事情④

 秋晴れに紅葉が映える1日。平和な光景だ。まさに「The NIPPON」  インター校の同僚や子どもたちに、山の美しさや空の高さを語るのだけれど反応するのは日本人が多い。季節が巡り、おかえり秋という感覚のようだ。ドイツでは夏の終わりのある日、いきなり冬になる。はじめは驚いた。大きな街路樹の葉が一斉に落ちる。はらはらではない。ドサッ!である。一気に、凄まじく。道は一面落ち葉のクッションになる。8月には長袖が必要な国だ。屋台のスープもホットが美味しい。

 

 一気呵成に変わる季節の前に日本人学校では修学旅行に行く。訪問先はドイツ各地の観光地だが、その中に必ず強制収容所の訪問をプログラムする。日本の学校、特に関西ではヒロシマを訪れることが多い。訪れるまでにさまざまな方法で「平和」について考える。日本における戦争のリアルを子どもたちに考えさせる時はいつも迷う。実際に下見で足を運ぶとその年によってヒロシマも違う。なのでその年の子どもたちによって適切なアプローチを考え工夫する。そのことが私たち教師の平和への考え方のアップデートにもなる。

 ドイツの強制収容所は、当時の軍関係者の氏名はもちろん顔写真や住所まで公表されている。それだけでも子どもたちは驚くが、展示されている写真のリアルさやたくさんの巨大な石碑と思われる構造物に彫り込まれている数字とその意味に言葉を失う。石碑というのはいわば墓石で数字は埋葬されている人数だ。

 そして私たちと同じように見学している若い人たちの集団がいくつも目につく。ドイツの学校にはもちろん日本の修学旅行にあたる体験・宿泊的行事はない。学校かもしれないし、何かのサークルなのかもしれない。国は違っても多くの人の命が失われた場所での厳格さ厳粛さは同じだ。若者の1人はあの有名なアウシュビッツがあるポーランドから来たと言っていた。「自分たち自身がこういう過ちをおかさないことをここで学ぶために」

 

 ドイツも日本も同じ敗戦国だが平和へのアプローチは違う。言葉は悪いが、あえて過去の行いを晒すことで示す反省は見る者の衝撃が大きい。ハイドン作曲による国歌も、帝国主義的な1番の歌詞ではなく3番を歌うと決められている。

 以前ドイツ人は頑固だと書いた。ルールに忠実と言い換えてもよい。自分自身を律するその国民性は、2度と過ちをおかさない決意から来るものかもしれない。そうだ、そういえば着任してカギの話が出た後に「挙手は一本指ですから」とも言われた。

 

 似ているようで違う国。昔から縁が深い国。サッカーW杯の初戦がとても楽しみだ。deutsches Vaterland!