ウクライナの先生 プロの覚悟
教え子でプロの音楽家として活躍している子が3人いる。高率だと思う。自分が音楽が好きなこともあって応援したり、励ましたり。プロになってからは演奏会に招いてくれたり。本人だけではなくご家族も応援した。音楽家を育てるには物理的な苦労だけではなく正直お金もかかる。
ドイツでの話だが娘が現地でピアノをならうことになり、音楽学校に通わせた。ドイツばかりでなく中国、香港、ハンガリー、ギリシャ、・・国際色豊かだった。先生方も同じだ。
ある時、学校から急に呼び出しを受けた。妻が何事かと電話してきて仕事の後学校に駆けつけた。校長先生から言われたのは
「あなたの娘は日本に帰ったら何がやりたい?という私の問いに 学校の先生 と答えた。いったいどういうことだ?!」だった。 ?
ドイツ語があまり得意でない私たちに、ドイツ語と英語を交えて何度も訴えてきた。ようやく言いたいことの意味がわかった。
『ここにきている生徒は、みんなプロを目指して学んでいる。あなたの娘もそうだと私たちは信じてきた。なぜ音楽家になろうとしないのか?なぜ学校の先生なのか?』
言い訳になるけれど、ようやく問いの意味と呼び出された理由を理解した私たちは、不十分なドイツ語で必死に反論した。
「日本では音楽家になろうと思ったら、・・・」
「レッスンに遠くまで通わなくては・・・」
どんな単語を使ってそれを言ったのか覚えていない。ただとても惨めだった。惨めというより、自分たちは何を言っているのか??と情けなくなった。
それだけ熱心に教えてくださっているということだ。
先生方も、祖国を出てドイツに生きるプロの演奏家だ。その言葉は重い。
なんとかその場は取り繕った感があるが、教師としても親としてもすごく反省した。音楽は単に習い事ではない。習わせ事ではないと心得ていた。しかし人生を賭けるとまで言い切った校長先生の覚悟に負けたと思った。仕事をするとか、プロになるとか、生きるとか、学校として生徒を預かるとか、全て問い直差なければならないドイツでの一大事件になった。私たちもお遊びで学校に通わせてはいない。しかし「覚悟」という点で校長先生にも担当の先生にも突きつけられたものがあった。
おかげで?私たち家族全員で人生を話しなおす機会を得た。娘も奮起して市の大会で優勝し、州の大会で3位とあと一歩でブンデスという成績をおさめることができた。その時、先生はこうも言われた。
「あと3年、私と早く出会えていればあなたを間違いなくプロにできた。」
「どんな人間にも何か才能がある。才能を生かさないのは罪だ」
才能を生かさないのは罪 この言葉は今でも胸によぎる。
その言葉を自分の教え子にも伝えたつもりだ。
命をかけるとか、覚悟とか、重い言葉はそうそう使うものではないが、使える人間でありたい。
先生方の祖国は今戦禍にある。