きっと・・ずっと・・

 GIFTとカテゴライズされる子どもたちがいる。いや、大人にもいる。小中学校でこういう言葉が学校で共有されていると、よく研究されているなと思う。観察だけではなかなかわからないけれど、ある種の発達検査を受ければ一目瞭然にわかる。いわゆる天才だ。しかし、天才であるが故に周囲から浮いてしまう。多くの友だちが(大人にも)理解不能なことを平気で捲し立てる。もしくは浮いてしまうのが怖いので黙っている。喋ってくれた方がもちろん見える教師には見える。黙られるとなんともし難い。

 

 つい数年前GIFTの子どもに出会った。ご家族と一緒に一度検査を受けてみようという乗りだったと聞いている。1ヶ月ほど経って、特に目立った異常はなかったです、と検査結果を受け取って驚いた。確かに「異常」ではない。しかしどの数値も高い。うまい例えは見当たらないが、小学校1年生の中に1人大人が混じって「みんな仲良くね」「みんなで頑張ろうね」と言われている状態を想像する。

 

 きっとずっとしんどかったのだ。周りに合わせて生きてきたのだろう。笑いたくなくても笑い、子どもっぽいと思ってもつきあい、しんどいはずだ。だから登校しぶりが始まったきっかけはあったが、単にきっかけであって原因ではない。だから、きっかけの出来事をお詫びされたり、原因を除去してもだんだんだんだん学校から遠ざかってしまったのだ。

 

 だからどうしたらよかったという話ではない。たぶん誰にもどうにもできなかった。作り笑顔と笑いで楽しそうに、先生にも親にも心配かけずに過ごしてきたに違いない。

 

 よい子も何かを抱えている。そう見ても良さそうだ。疑えというのではない。発達検査を強要するのでもない。そういうケースもあるとしっかり認識し共有することだ。その子のことは今も私の宿題だと思っている。GIFTは大人にも多い。大人になるまでそのことでストレスを感じずに来たのは周囲の理解か、誰かの環境調整が効を奏したか、はたまた本人の強靭な精神力か。大人になれば報われる機会も多いから救いはたくさんある。

 

 彼らは時代の変わり目に登場し時代を変革する推進者となるリスペクトすべき存在だ。協調性がないとか自分勝手だとか個性的すぎるとか、今や古くなった価値観に囚われ押さえつけることなく成長を促してやりたい。

 この年末、辻村深月氏の「かがみの孤城」が公開される。原作を読んだ時、学校に行かない子どもの心情が迫ってきてたくさんの同僚に勧めた。アニメでどういう描かれ方をしているのかとても興味がある。