ある学校の話②

 この学校の取組の良かったところは「全員で仕事ができた」ことだ。チーム○○と自称するのは今は珍しくないけれど一昔前としては先駆けだっただろう。

 私自身、それまで教師は職人だと思っていた。校長は職人の棟梁で、職人をしっかりまとめるのが仕事。多少の凸凹は仕方がない。また凹を自認する者は見て学び、技術を盗めと、そういう姿勢でいた。だんだんそれでは対応できなくなってきたのは「ゆとり世代」と言われ学校週5日制が始まった頃だと思う。

 

 この学校は、みんながアイデアを出し良かれと思うことは全てやった。視覚支援は効果抜群で、廊下の歩き方や職員室への入り方は瞬く間にすごく変わった。良くなった。ある1年生が、完璧にできたのを職員室にいた先生がみんなで拍手した姿も見た。いつしか全校集会もザワザワしなくなった。司会の先生は何も言わず「まなざし」と言い、スッと静かになった時「こちらにまなざしを向けてくれてありがとう」と静かに言う。それをみんながやる。それだけだ。

 ちなみに私の提案は、日本人学校のように「みんながスーツを着て取り囲んだら静かだよ!」であった。却下された。

 

 それでも事案はゼロにはならない。特に学校内が収まりかけたら、地域に出て事案を起こした。マンションで遊んでいて駐車場の採光パネルを壊す、地域センターのソファーで飛び跳ねる・・マンションの管理組合からは住民以外は出禁にする!と言われた。もう少し待ってください、とお願いするしかなかった。学年集会も何度となくやった。大勢が相手で、事案の説明だろうが「授業」だ。切込隊長役、宥め役、諭し役、まとめ役・・・教師は阿吽の呼吸で役割をとった。これは学校内の事情聴取で鍛えられた技だ。聞き役(複数)、自習監督、連絡・説明・・一度に多くタスクをこなすチームとしての力がいる。私は年齢的にいつも切込隊長役を買って出た。あまりキャラではなかったが回数をこなすとだいぶハマってきたものだ。

 

 今でもその頃の教え子に会うと、「地味に怖い」と言われていたらしい。誇りに思っていいのやら😓・・。人はこうして変えていける。組織は良い目標が与えられたらまとまる。自分を変えることはもっと容易い。

 

しっかり学べているか?

 家庭にあっては、食事を共にすることで子どもたちががんばっているか、困っていることはないか、探っていた。苦しかったけれど6時台には夕食にかかれるようにしていた。妻が働き始めてからは自分が夕食を作ることも多かった。

 

 子どもたちはたくさんの見えにくい力で支えられている。家庭でも学校でも。良い学校は学ぶ環境が整っている。人もそう、ものもそう。いつ行っても校庭や校舎内がきれいで花が咲き、荷物が置いてあっても整然としている、そういう学校が良い。

 

 オープンデーが再開したら、先生の教え方や子どもさんの様子だけではなく様々に視点がある。もちろんオープンデーとなれば、丁寧に掃除をして準備するので「きれいであたりまえ」と思ったら良い。見方の基準を上げるだけで構わない。

 

 1番クラスの姿がよく見えるのは、普段日の放課後だ。当日担任の先生が主催するような会議や出張があれば物理的には無理だが、良い教室は次の日の準備ができている。黒板の日付が変わり当番の表が動き机椅子が整然と並んでいる。近年ならタブレットの充電がなされている。

 

 教室や子どもたち個人が管理するものが増えているので40人近い学級は大変だ。少ないスペースをいかに工夫するか、誰もいない教室から教わることも多かった。ああいう100均グッズは先生たちの持ち出しが多い。その方が早く手に入るけれどできれば公費で買ってあげたかった。でも・・・差がついてしまうんだよなー。その差が見たかったりするのはいじわるか😅

ある学校の話①

 個人的な話になってしまうが忘れられない学校がある。どこの学校でも生活指導はあるものだがそこはスケールが違っていた。住宅造成地に置いてあった車が燃えた🔥 車専用道路にかかった橋の上からタイヤが落ちてきた🛞 トイレのゴミ箱からボヤが出た・・ ある階全ての和式トイレに金魚が泳いでいた🐡 その度に職員全員でどうしたものかと考えた。ああでもない、こうでもない。

 もし学校のマッチで火がついたのならえらいことだ。理科の実験で使うマッチを1人1本にして必ず数を確認しよう!トイレのゴミ箱は撤去しよう!!大の大人が集まって、小さな作戦しか思いつかなかったけれど皆目的は一緒。一体感があった。

 

 「どうしてこの学校にはトイレにゴミ箱がないのですか?」「それはね・・・」4月に着任した仲間に、ずっと同じことを説明していたように思う。いつしか私たちは原点に戻って、子どもたちにも学校の約束を「全員集まって」聞かせましょう、と生活指導集会を始めた。視覚的に訴えるために6年生に出演してもらってビデオを作成し上映した。廊下の歩き方、職員室への入り方、挨拶の仕方、教えたいことはたくさんあるが1回の集会で3つ以内に指導事項を抑え、回数を積み重ねた。体育館への入り方も並び方も揃え直した。体育館シューズの置き方も「左側」と決めた。会の進行を画用紙に書いて大きく表示し、終わったら剥がしていった。

 

 今ならスクリーンに映せば住む話かもしれない。そんな努力を繰り返すうちに子どもたちは変わっていった。いや、変わったのはまず先生たちだったのだ。それでも大きな生活指導事案は結構起こった。6年生を担任した時は、何度か指導のために日を跨いだ。その時刻にならないと保護者が揃わなかったからだ。保護者も夜の仕事が終わってすぐに駆けつけてくれたのだから仕方がない。みんなを返したあとしばし無言で時を過ごした。

 

 今もその時の学年を組んだ同僚を戦友と言っている。特別な存在だ。しかしUD(ユニバーサル教育)とか合理的配慮という言葉が広がる以前に私たちは同じことをやっていた。あの大空小学校より前にみんなで取り組んでいた。それは決して行政や管理職の主導ではなく、困ったことを目の前にして協働して知恵を出し合った結果生まれた取り組みだった。その取り組みを研究として積み重ね、発表をしているうちにあるテレビの放送局から取材の申し込みがあった。校長先生は乗り気だったが、話し合ってやめましょうということにした。落ち着いたとはいえ、まだまだ本物ではないという認識だ。

 

 それでも忘れられないのは、戦友が○○委員会を指導した年だ。中庭に小さな池があり、そこをビオトープにしようと計画を立てた。正直、高学年の強者が集まっていた。ところが戦友の献身的な指導が次々と繰り出され、彼らは毎日休み時間に池をのぞき、草をむしり、生き物を観察した。夏が終わった頃プールに水草や背の高い植物を植えて、メダカを放ちトンボを呼びこんだ。戦友に言われて、だまされたと思って低学年を連れてプールを覗くとなんと水が美しく澄んでいて群れをなしてメダカが泳いでいた。メダカの学校である。子どもたちと一緒に感激した。自然低学年の子どもたちは手紙を書いた。「ありがとう」

 

 戦友は、委員会の子どもたちの問いに丁寧に答えてやっていた。どうしてあんなに気をつけて世話をしているのに食用蛙が発生してしまうのか?・・それはね。本当?子どもたちは確かめる。○○川の生態系を壊すと言われたブラックバスを食べてみたいと言われれば、専門家を連れてきて実現させた。「うまい」

今なら無理だろう。

 その年の卒業式、戦友は一人一人に将来の夢を語らせた。百数十人を全員で、に反対の声もあったが強行した。委員会の「元」強者たちが口々に委員会の思い出を胸を張って語った姿は心に刻まれた。なんの変哲もないその池は、完全に子どもたちの自治による運営となりその年は全国のビオトープ審査会で銀賞、次の年には金賞を取った!あたりまえである。夢を育み人を育てた素晴らしいビオトープなのだから。

 

 長くなってしまった。人はこうして育っていく。トイレに金魚が泳ぐ学校から全国ビオトープ金賞の学校になった。

タイムトラベル

 あれから28年。若かったから乗り切れた阪神淡路大震災。2度と味わいたくはないが。大切な人を地震で失った方々は例え夢物語であろうとタイムトラベルができるなら、たとえ5分前でも1分前でもあの日に戻りたいと切に思っておられるだろう。被災した直後は私たちもよくそう考えた。あの日は確か月曜日で前の週に結婚式を挙げた友人が、ちょうどその時刻は飛行機の上で難を逃れた、そういう人たちもいる。1日かけて避難をする中でいやがおうでも助け合う絆を感じたこともある、が今にして思えばその時は必死で余裕がなくきっと後で学習を積んで再構築された考えなのだ。きっと何ども心のタイムトラベルをしていたに違いない。

 

 以下 新聞記事の抜粋。

 

 私たちは普段時間は戻らないものと思い込んでいる。失われた30年、何かをやり直したい、という想いを持つ人は多い。HGウエルズの「タイムマシン」筒井康隆時をかける少女」SFの名作に心を躍らせた人は洋の東西を問わずだ。

 

『学校は母から放さるる場所なりと 知りぬ母逝きてのち』

『葉の間に いちやうの緑き実の見えて 新しき過去かがやくごとし』

 

 時間は一直線に流れているように見えて、人の気持ちのうえでは渦巻きながら行きつ戻りつしていると感じます。「今」を過ぎ去ったものではなく、常に更新される新しいものととらえると、完成や好奇心が光り輝く。

 

 過去が現在を照らすこともあるのです。  ・・・・(栗木京子)・・『新しき過去』歌集

 

 人間は時間を取り戻せない。だが、長い人生の中で過去の記憶を何ども味わい望むように生き直すことができる。

 

 以上 讀賣新聞 2023年1月○日

井上尚弥:モンスター

 彼こそは真のチャンピオン。挑戦に名乗りを挙げたボクサーが、そう表現するのだからその強さは本物中の本物だ。4団体統一を成し遂げ、全ての王座を返上して階級を上げて再びチャンピオンを目指す。4階級を制覇した時、このまま引退したらレジェンドになれる、でも、とインタビューで語っていた。戦い足りないのだろう。以前にも書かせていただいたが顔がきれいだ!ボクサーとは思えない。根性とガッツの鍛錬ではなく、科学的なトレーニングで強い身体を創っておられるのだろう。知性を感じる。何となく研究者の顔立ちを感じる。生き様もチャンピオンとしてのあり方も「あしたのジョー」のイメージではない。・・・もう古いかな?

 

 バウンド・フォー・バウンドと呼ばれたチャンピオンは日本にはいない。彼が初めてだろう。世界を見渡すと4階級制覇とか5階級とか、偉業を成し遂げたチャンピオンは多い。しかし軽量級といわれるバンタムやフェザーは、「スーパー」といわれたチャンピオンもことごとく階級の壁に阻まれている。これも古いかもしれないが、カルロス・サラテとウイルフレド・ゴメス。同じくルペ・ピントールとゴメス。そのゴメスもサルバドル・サンチェスに敗れている。何百グラムの体重差にも相当なエネルギーの差があるのだろう。これはやった人にしかわからない。

 

 ボクシングは、自分は打たれずに相手を打つスポーツだ。小さい頃偶然だが、お手本のような試合をテレビで見た。ジュニアミドル級なので日本人としては体重の重い階級、そしてカエル跳びで有名な輪島功一が手に入れた日本伝統の階級だった。チャンピオンは日本人。自衛隊出身の工藤政志、挑戦者はアフリカ人アユブ・カルレ。チャンピオンがリングの四方に向かって丁寧にお辞儀をして入場し、当時は珍しいアフリカ人の挑戦者でやはり日本式に一礼して入場した。威張ったり威嚇したりせず、物静かな挑戦者だった。試合が始まり、まさに「自分は打たれずに相手を打つ」美しいアウトボクシングで挑戦者が圧倒。3-0判定で王座奪取だった。気になって挑戦者のプロフィールを調べたら、来日してからもトレーニングの合間にずっと読書をするような人だったらしい。ファンになった。何度か防衛した後に、S,Lレナードという、これまたスーパーなウエルター級チャンピオンに敗れることになる。

 

 和製レナード。人気と実力はそう言って差し支えないと思う。ちょっとボクサーとしてのタイプは違うけれど。いや、今の井上選手の方が「強さ」を感じる。

共通テスト2023

 共通テストが終わった。テストに向かう人たちも、準備をする人たちも緊張の2日間だったろう。お疲れ様でした!何度か??共通テストを受けたものとしては勉強の仕方も二次試験とは違う独特のスタイルだし、ひとまず終わったとホッとする気持ちの方が大きかった。今も変わらないだろう。自己採点して一問一問の出来に一喜一憂し精神的にはタフになる。神が舞い降りた!と喜ぶ人もいれば、その逆の人もいるに違いない。でも勝負は最後までわからない。

 

 ここ何年か、どこどこの会場で1分早く終わってしまったとか始まりが遅れたとか報道される。それでも追試権の対象になるようだから、受け直すかどうかまた難しい判断だ。終わってしまいたい気持ち、やり直したい気持ちが交錯する。乏しい??経験だが、やはり試験には手応えというものがあって、手応えがあれば受かる。その手応えは当の本人にしかわからない。厳密な試験実施は、全国学力学習状況調査も同じだ。前の日から泊まり込む管理職もいると聞いて驚いた。それにしても近年の問題はよく練られている。断片の知識だけでは解けない、いくつかの知識を関連づけて考える力が試される。大学入試も全国調査も同じだ。

 

 最近言われなくなったPISAのランキングなど、どこでどういうふうに切り取って評価しているのかわからないが、どうして話題にならないのだろう?十分に力が発揮できなかった人も、広く世界を見つめ直してみれば大学は日本のものばかりではない。素晴らしい発想で起業した大学生と何人か出会ってきたが、エンジニアとして生きていくことと大学卒業は必ずしもイコールではなく中退している人もいた。そういう生き方も選べるのだ。

 

 落ち込んでいる人ほど、広く世界を見渡してもう一度未来について考えるチャンスかもしれない。前を向こう。

Rのつく月

 ドイツ語でRがつく月は貝が美味しい。あれはムール貝だと思うが、日本で売っているものより一回り大きくバケツで出てくる。あ、もちろんレストランでのこと。

 

 お酒、ビールやワインのあてにも良い。食べ方を教わったらはじめの1個を食べたら、その殻で次のものをはさんで食べのがスタイルだ。そうムシュルと言ったか、思い出した。秋から冬の風物詩。

 

 ドイツは8月には長袖を着て、今の時期だと出勤の時刻は綺麗な月が真上に見える。10時ごろまで真っ暗だ。寒い国で食べる、飲むは欠かせない楽しみに違いない。

 

 ところが最近ドイツに行った息子が物価の高さに驚いていた。ビールより水が高い国だ。オイロが高いというよりものの値段そのものが上がっている。

 合理的?な思考のドイツ人は、食べ物でも付加価値税がかかるものとかからないものがある。チョコレートはかからないがケーキにはかかる、といった具合だ。説明をしてもらうけれどよくわからない。税金はともかくこうも物価が上がっていたら冬場の楽しみが減ってさぞかし知人も困っているだろう。

 

 言葉でも税金と同じようなことがある。ドイツ語は名詞にも男性女性中性とある。覚えるほかはないけれど、携帯電話のような新しいツールは誰が(どこが)男性女性中性を決めるのか?面白くて楽しい。男性といったら男性なんだ!とかいう声が聞こえてきそうだ。

 

 気難しいところはあってもドイツは私にとって父の国。日本とドイツ、両親が揃っているのは幸せに思う。